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「わかる」ということの意味

この本、面白かったです

「わかる」ということの意味 新版 (子どもと教育)/佐伯 胖


『子どもは、常に「わかろうとしている」存在である。』


そう、主張している佐伯先生。そうそう、その通りよね!!と、思わずこの本を手に取った次第です。


しかしそうでありながら、なぜ多くの子どもは、勉強嫌いになってしまうのか?
子どもが本来持っている「わかろうとする」強い意欲を引き出すためには、どういう教育を施せばよいのか。
と、ゆーことが、あれこれと綴られております。


「わかる」ということはつまり、「合点する」ということ。
まぁこれは、良く言われていることですが、
例えば詰め込み教育で、解法だけをインプットさせて、スラスラと問題を解かせることは、真の「わかる」ということじゃないんですよね。

「あっ、そうか、わかった!ひらめき電球
と、これまでの経験値に、新事実がピタッと符合して、
色々な事実が「つながる」
それは、自分の世界観、価値観が広がる瞬間でもあります。
これこそが、真の「わかる」という体験だと、私は思うの。

そうして、そういう「わかった=つながる」体験があると、
新しい未知の分野でも、子どもは子どもなりに「類推」することが出来る。
その類推を元に、子どもは新たな世界を「わかろうとする」努力に繫げることができる。

それから、これは、私の私見ですが、
「わかろう」と努力をするということ。それはつまり、「向上心」にも繋がると思うの。
「わかったような気持ち」になって、「わかろう」とする努力を放棄すると、それは「向上心」の放棄にも通じると思う。



さて、本によると、
子どもが本来持っている「わかろうとする」力を妨げてしまう原因として、教育者の様々な考え違いがあるようです。

・「こうあるべき」という教育者の熱意を元に、押し付けた教育をしてしまい、それから逸れてしまうと「ダメな子」とレッテルをはってしまう

・「この子は、こういう気質だから仕方がない」とレッテルを貼ってしまい、取り立てて特別の働きかけはしなくてよいと考えてしまう

・「子どもは、無限の可能性を持っている」として、教えることへの過度の過信を持ち、教育者が思い描く理想像に子どもを当てはめようとしてしまう


どれもこれも、子どもの教育を考えれば考えるほど、ついつい陥りがちになってしまいそうなところが怖いガーン
しっかり、胸に留めておこうと思います!


。。。

さて、子どもの「わかろうとする」力を育ててあげるためには、どんな働きかけをすれば良いのか。
色々ーと書いてありましたが、私なりにざっと理解すると、

子どもに、上から目線で「わからせる」ことを仕向けるのではなく、
自分も「わかろう」とする努力をし続ける事。



ともに学ぼうとする意欲を持ち続け、「わかりあおう」とすること。
ここなんじゃないかなと!


さらにもっと言うと、文化活動というものは、「わかりあう」ということが根底にあるのだということ。
自分なりに、「わかろうとする」行為こそが、文化活動に参加する事(=文化的実践)である、と。いうのにしごく共感。





私がこの本のなかで、一番印象的で、好きなくだりがあったので、ここに引用します


ー引用ここからーーー

(略)「文化的実践」に従事するためには、何らかの参加資格があるのでしょうか。あるいは、
文化的実践が「よくできる」ための条件なるものが客観的に存在しているものなのでしょうか。

通常、このような問いに対する答えには、「能力」ということばが用いられます。すなわち、「能力」がある人は文化に多く貢献できる。文化の成員となるには、最小限必要な「能力」を身につけておかねばならない、というしだいです。

私は右のような考え方には反対です。人間が文化的活動に参加するにあたって、その参加資格をきめるような意味での「能力」なるものは不必要だと思うのです。また、文化への貢献度も、その人の「能力」なるものに比例するという考えも避けたいと思います。

たとえば、今仮に、家庭の中で、夕食の食卓をかこんで、家族の人たちが団らんしている場面を想像してみましょう。お父さんは参議院選挙の結果を論評しています。お母さんは駅前に置いておいた自分の自転車がこわされていた話。それを通りすがりのひとが一生懸命直してくれて本当に助かったという話を感動をこめて話します。息子は学校の運動部の試合で惜しくも敗れた話、娘は学校の帰り道に見つけためずらしい花の話をする。幼い末の子は「えーと、えーと、あのね!」とさかんに注意をひこうとし、聞き入れられないと、「きょう、みっちゃんと遊んだんだからぁ!」と大声をあげる。みんながびっくりして聞き耳を立て、「それでどうしたの?」と聞くと、本人が照れながら「ただ遊んだだけ!」というのでみんなが大笑い。

右のようなありふれた場面のなかで、「能力」は問題となるでしょうか。みなが互いの喜びや「わかったこと」を伝えあい、わかちあい、また、相互の「わかり」を深め合っていくとき、そのような場への「参加」に、資格というものが要求されるものでしょうか。

文化というものは、このような「一家団らん」に似たようなものでしょう。私たちはノーベル賞を受賞した物理学者の話が全部わかるわけではない。有名な画家の抽象絵画の価値が本当にわかるわけではないかもしれない。しかし、私たちなりに、そのような文化的価値をわかろうとし、わかちあおうとするのです。そして、たとえ幼稚な感想でも、自分の感じたことを他者に伝え、共感しあいたいのです。そういうことを通して、文化的実践に参加しているのだと思います。


ーー引用おわりーー




個々人が「わかろうとする」ことこそが、文化活動である、と。
そこに、「能力」は関係がない。

そのことこそに、意味があり、学びがあり、子どもへの「教育」の実践である、と。

つまり、私がここでグダグダと、幼稚なことを書いていても、それは文化的な活動であるから、恥ずべきことではないということですヨネ!(笑)


↑一番言いたかったのは、これww


子どもをより良く導くためには、まずは自分が「わかりあい」の文化活動に参加すること。
そして自分の(低い)能力に恥じず、自分なりに、「わかろう」とする努力を続けること。

ここ、大事だよね!うん。


恥をかくのを、恐れてはならない。
自分に「能力」がないのでは、と怖じけづく必要もない。
自分なりに、「わかろう」と努力をすることこそが、
文化活動に従事することであり、また、子どもへの良い教育ともなりうる。


そんな結論が、この本を読んだ、私なりのファイナルアンサーwにひひ
そんなことを思って、本をパタンと閉じたのでした。


謙虚で、愛に溢れた、教育書だったと思います。
面白かったですよ!佐伯先生、素敵な先生だなー。


。。。


これが私がこの本の中で、一番「合点」したこと。
でも他にも、子どもの「わかる」ということについて、
色々と興味深いことが書かれてありましたよー
佐伯先生の著書は色々あるみたいですので、
興味のある方は是非ご一読を。
お母さん、火って何から出来ているの?
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