さて、平和記念公園の記録。
私たちが訪れた日は8月4日でしたが、ちょうど原爆投下の数日前で、沢山の人が訪れていました。
私たちも、慰霊碑にて合掌。

平和の池のほとりを歩いて、原爆ドームへ向かいます。
この日の天気予報は雨で、この少し前からぱらぱら振っていましたが、雨の切れ目に写真を撮ることができました。
しかしこの後に豪雨になって大変だったけど;

雨の中、平和記念資料館へ。
子供たちと一緒に見てまわりましたが、
重い…おもすぎて、写真を撮る気になれませんでした。
唯一この写真なら、と撮ったのがこれ。

原爆投下直後のジオラマです。地面がほぼ真っ平らになっている。
真っ平らになった地面の上で、どんなことが起こっていたのか…考えると、胸が痛みます。
。。。
今回、びっくりしたのは、外国人らしき人たちも、たくさん原爆ドームや平和記念館でみかけたこと。
真剣に、ビデオや展示を見回っていた様子でした。
私が今回、広島で原爆ドームを見てきた、という話をアメリカに住む友人にしたところ、こんな話をきかせてもらいました。
「アメリカの博物館では、この広島に原爆を落とした飛行機(エノラ・ゲイ)が、かっこよく展示されているんだよ。
それを見て、子供たちは『かっこいい』!と反応するの。日本人として複雑です」
…そうだよね。
戦争って、見方によって、立場が変わる。当たり前のことなのだけれど。
アメリカは、立場として「原爆投下」を正当化しているし、戦争で活躍した飛行機を「かっこよく」展示しているのも、一方で理解できる。
(日本が零戦を「かっこよく」展示するのと同様に)
思うんですけどね、この「原爆」被害に関しては、日本は被害者であります。
「被害者」の立場から、「どんなにひどいことをされたのか」というのは、言いやすいと思うの。
それは、どの国にとっても、同じことだとおもう。
「自分の国は、こんなに酷い事をされた。人道に反することである」
と訴えるのは、理解できるし、確かに大事なことだとは思います。
政治的にも利用しやすいプロパガンダであるし、国民も理解しやすいですね。
だって、悪いのは「相手」で、自分は「被害者」なんだもの。
ただね、
人間同士のコミュニケーションで、こんな話を聞いた事があります。
「人は、されたことはいつまでも覚えているけれども、自分がやったことは忘れてしまう」
と。
つまり、何かしら嫌なことがあった場合、
自分が他人に「してしまった」ことは過小評価し、他人から「された」ことは、ことさらに覚えている。
反対に、良いことがあった場合、
自分が他人に良いことを「した」ことは良く覚えているのだけれども、他人から「してもらった」ことは忘れがち。
これは、国同士の関係でも同じなのかもしれませんね?
。。。
平和記念資料館に来ていた外国人のなかに、アメリカ人がいたかどうかはわかりませんが、
外国人、とくに日本と戦争をした国のひとが、
日本の「戦争被害の記録」に向き合うのは、かなり勇気のいることだと思う。
アメリカ人が、もしあの記念館に行ったとしたら、私はその人の勇気と誠意を称えたいと思います。
…ふりかえって、私は日本人として、他の国の「戦争被害の記録」、
特に日本が加害者となっていた国の記録と向き合えるのかどうか?
戦争で被害を「与えられた」だけでなく、「与えた」ことに対して、向き合えるのか?
許し合い、ともに手を携えて、共存を訴えていけるのか?
戦争の記録はしっかりと持ちつつ、
被害者意識にとらわれないこと。
お互いを思いやること。
憎悪や自己憐憫、自己弁護に振り回されないこと。
想像力をもって相手を理解し、冷静に行動すること。
勇気のいることですが、
これから、将来もずっと日本が「憎悪」に捕われず、「平和」を訴えて行くために、大事なことだと思います。
日本が今後、ずっと平和を維持できるように。
そして自国だけでなく、今も世界のあちこちで、悲しくも起こっている戦争に対し、無くそうというメッセージを言えるように。
覚悟をもって考えてかなくてはならない。
そんなことを、子供たちに教えていきたいなと。
徒然と思った、広島の夕べでした。
たまには、ちょっと真面目にね(キリッ)
。。。
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