もろもろの雑談、前回の話の続き。
そんなこんなで、「最高学年はいつか?」なんてチャチャ入れがあったりしつつも、

「それより、タロウは、小学校の最高学年として、相応しい行動をしなさいよ~。
新一年生には、やさしくしてあげるのよ~」
なんて言ってたら、

「だいたい、今の一年生って、生意気なんだよ

上級生に向かって、『オマエ、だれだ!』なんて言うんだから

」
あ……
言われた事あるのね(笑)
でも、そうは言っても、アナタだって、低学年の頃は十分生意気だったわよ。
昔から、なにかっちゃ一学年上のクラスに入り浸り、上級生のお友達が大好きで、
敬語なんか全然使えてないし、「オッス」とか挨拶したり、
チェスの勝負をしにいったり、
知識自慢で生意気の塊だったアナタが、そーゆーことを言う訳~~~?(笑)

「よく言う~~!
そもそも、一年生は、ちょっと前まで幼稚園生なんだから!
上級生をたてて敬えなんて、そんな理屈、分かる訳ないじゃない」
それでも、いいや、嫌いだ、許せないとか、ブツブツ言っている彼ですからね。

「それに、一生懸命の真面目な一年生だって、いるかもしれないでしょ。
一部の『生意気な』一年生だけを見て、全ての一年生を『生意気だ』って評価するのは、良くないと思うわよ~」
なんて事を熱く語っちゃったのでした。

「そもそも、一部のみを見て、全体を悪く評するっていうのは、差別や偏見の温床だわよ。
一部の6年生の行動がダメだからって、オマエら6年生はみんなダメだ!って言われたら、やっぱり嫌でしょ?
それは、日本人の一部がダメだからって、日本人の全てがダメだって言われるのと同じよ。嫌でしょ?」
その先、ナチスドイツにおけるユダヤ人への差別がいかに発生したか、ってことをとうとうと語っちゃったんですけどね。
アメリカの差別問題、日本の差別の現状、
現在、話題になっているイスラム国の所行で、イスラム教信者が差別を受けている事。
世の中で差別や偏見を生む土壌というのは、色々な原因があると思うのですが、その一端は、マジョリティ(多数派)と呼ばれる人々が、
「一部のみを見て、全体の評価を(主にネガティブな方向に)下してしまう事」
またはその風潮を作ってしまう事、にあると思うのです。
部分から全体を類推して、傾向をつかみ、対策をたてるというのはある意味大事だとは、思う。
でもそれが全てだ、と早計に判断してしまうのは、やっぱり危険よね。
年取ればとるほど、キャリアをつめば積むほど、
「最近の若いコは…」
「今年の新入生は…」
「今年の新入社員は…」
「最近の母親は…」「最近の子供は…」「最近の父親は…」
言いたくなるのは、どの世代も同じ?
人の世の常なのかもしれませんけどね(笑)
でも、どんな状況においても、
母集団のイメージに捕われすぎて、偏狭な視野をもってしまうのは、フェアじゃない。
そこんとこを忘れず、部分と全体、バランス良く見れる人間を、目指したいです!
子供も、私も

。。。
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