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「同情」は是か非か

ちょっと前のことなんですけど。
テレビで「世界一受けたい授業」を子供たちと一緒に見てたら、児童労働の問題を解説するコーナーがありました。
なにげなく見ていたのですが、その内容を知るうちに、すごくショックをうけてしまったのでした。

児童労働の問題は以前から話だけは聞いた事はあったけれど、事態がこんなに深刻だったなんて。

一緒にテレビを見ていたタロウもショックだったみたいで、テレビを消したその後も、「児童労働」について母子で話したりもしていました。


「タロウは、毎日普通に学校に行けているけれど、世界にはタロウみたいに学校にも行けずに、大変なところで働かされてしまっている子供たちもいるんだよ。
毎日毎日働いてばかりだから、遊べないし、勉強もできない。
勉強ができないし、お金もほとんどもらえないから、将来の希望も持てない。
そんな子が、沢山いるなんて、可哀想だね。
今タロウは、学校にも行けて、勉強もできて、幸せだよね。。。」

とかとか。




ちなみに、
こういう「同情的な考え」を口に出すというのは、私は長年ためらって来た行為でした。

「同情的な考え」は、他人の不幸を見て、自分の幸せを確認するという考え方にも通じるのかもしれない、という思いがあって、私は長年このように、「他人を可哀想に思う」という同情的な感情を後ろめたく思っていました。


「同情心」は、ぶっちゃけ、「優越感」とも通じます。

「かわいそうに」と思う心は、一段上の立場から、対象物(または人)を眺める行為とも通じていて、だからこそ私は、自分自身が同情されることが、すごくすごく嫌だった記憶があるのです。

というのはですね、
私は小学生と高校生の頃、なんだか色々とあって、友達が誰もいないという状況のときがあったのですが

(直接的で陰湿なイジメ行為があった訳ではないのですが、いわゆる村八分状態にされていました。オンナノコにとって、学校での毎日って、「グループ」が中心になっているので、誰も一緒にいてくれる人がいないという日々は、いたたまれないほど辛いんですよね…。私にも色々原因はあったのだろうなぁと、今になっては思いますが、当時は毎日本当に居場所がない日々でした)

そういうときにですね、
「あのコ、かわいそうね」
「あのコ、友達いないんだって。しゃべってあげる?」
みたいな、いわゆる『同情』を寄せられることが、ほんとうに、ほんとーーに、イヤでした。
当時の私にとって、同情をよせられること=屈辱 であったのです。

ま、それは多分、当時の私の心の余裕の無さとか、むやみやたらにトンガったプライドとか、そういうのが原因にもあったのでしょうけれども。

同情されるくらいなら、無視されるほうがマシで、
だから、私は同情されるのが嫌で、自分の存在を隠すために、休み時間ごとにトイレに逃げ込んでいたのでした。




だからね。

私は、いわゆる「カワイソウな状況」(と多くの人に思われる)立場の人が、「同情しないでよ」と叫ぶ気持ちも、なんだか分かる気がします。


「同情するならカネをくれ」

ヒロインがそう叫んだドラマがありましたけど、そう叫ぶヒロインの気持ちも、なんだか分かる気がしたのです。



なので、これまで、めったやたらに公に、「同情」を口にすることははばかられていたし、言ってはいけないのではないかなぁと。そんなことすら感じていました。


でもさ。

最近、思うのですけど、最近の社会は、「同情するならカネをくれ」って、同情をはねつけるような、そんな風潮が強すぎて、社会全体が「同情」をあまり口にしなくなってきたのではないかなって?

「同情されたくない」 そんな立場の人も、いることはいるのでしょうけれども(かつての私のように)
「同情されるべき」人たちも、同情をよせられることがなくなってきてしまった、そんな世の中になってないかしら??

「自己責任」ばかりが大声で叫ばれて
(そもそも、自己責任ってなに? もちろん個々に責任を取るべきこともあるのでしょうが、安易に自己責任を叫びすぎていないかしら。いうにやまれぬ事情でそうなってしまってしまった人もいるだろうに、その状況に思いすら馳せず、安易に自己責任を叫び過ぎではないかしら)

人が、人(あるいはモノ、事象)に対して、同情を寄せなくなってしまった、ギスギスした、そんな世の中になってないかしら??





繰り返しますが
同情、という感情は、「かわいそうに」と思う心で、
「かわいそうに」と思う心は、一段上から対象物を見ていることでもあって、
それは確かに、その人の優越感と通じてもいると、いえなくもないかもしれない。
(だからこそ私は、昔は同情を忌み嫌ったのです)

でもさ。
その感情は、確かに「やさしさ」をも誘導するのです。

「やさしさ」は、【情を同じくする】…つまり、【心を寄せる】感情なしには、生まれないのではないかなって。

ここにいたって、最近は、「他人を可哀想に思う」という「同情心」は、大事な感情なのではないか…と思うようになりました。




私はタロウによく言います。

「ハナちゃんは、○○できなくて、かわいそうね。まだ3歳だからね。
タロウは、○○できるでしょ。おにいちゃんだからね。だってもう7歳だもの。
だから、優しくしてあげなくちゃね。○○できなくても、からかっちゃいけないよ」

と。

そうすると、タロウは、自分の年上としての優越感もくすぐられ、年下の妹への行動も優しくなるように見られます。

身体の不自由な人や、お年寄りに接した時も同様。

そうすると、子供たちは、自分の優位性に発奮すると同時に、やさしくしてあげよう、という気持ちも芽生えるようなのです。





大事なのは、同情を寄せる憐れみの心を持つと同時に、相手の尊厳も大事にする事。
「同情しないで」って言うヒトには、「失礼」と言って、取り消して去ればいいのです。

多分、「同情しないで」っていうヒトは、別のものを欲している。
では、その別のものとはなにか。聞けばいいのです。
もし、その声に耳を傾けたいのであれば傾ければいいし、聞きたくなければ去ればいいでしょう。


昔、私が子供の頃、母と満員電車の座席に座っていた時。
電車の中で母がお年寄り(に見えた)に席を譲ろうとしたのだけど
「席なんかイリマセン!」とはねつけられ、また再度母は席に戻った。
で、傍にいる私に、
「こういうこともあるけど、恥ずかしがらなくていいのよ」
と言いました。

子供心にすごく印象的で、覚えているのだけど、私はその時の母の行動を立派だなぁーと思ったのでした。

多分、母は、満員電車の中、席を譲ったけど断られ、内心恥ずかしかったのだと思うのだけど(笑)
親として、模範を見せようと思ったのでしょう。



同情を寄せ、「するべきことをする」ことは、たとえ断られたとしても、けして恥ずかしいことではない。
大事なのは、「しない言い訳」をすることではなく、「するべきことをする」ということ。



自身の努力はおざなりにして、同情心ばかり募るヒトがいるとしたら、私はとうてい好きにはなれませんが、本当に同情をよせるべき人というのも、存在すると思う。


そういう人たちへの同情を口にする事を恐れず、
自分の出来る事を探せる、ギゼンではない本当の優しさと、強さを身につけたい。


そんなことをつれづれと思う今日このごろです。




その昔、「同情的感情」に反発していただけに、「同情」という感情に熱い思いを抱いてしまいました。
長くなっちゃった!スミマセン。

。。。
てーか私、そもそもは「児童労働」について書こうと思ってたのに!
話が横道にそれまくり。
まだもうすこし、話は続きます。
お母さん、火って何から出来ているの?
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